====== 静かに心を戻していく ====== 独学で遺伝学を学び、民間サービスを通じて自身の遺伝子について研究する機会を持てたことは、自分にとって人生観が変わるほどの経験となった。 しばしば世間では発達障害をネタに他者を揶揄したり非難することがある。実は僕もかつて、匿名でそういう話題に参加したことがあった。 しかし、細胞レベルで人の性質はある程度決められていて、それは自分の想像以上の数の人々に影響を及ぼしていることを理解し、そして自身にも幾つかの発達障害の因子が備わっていると知った時、僕はもう人に対してうかつなことは言えないと悟った。SNS上のネガティブな話題が目に留まっても、それらについて言及することはおろか、考察することすらはばかるようになっていた。 そんなことを考えていたら心がバラバラになりそうだったから、最近、利用しているSNSを削減した。大切な投稿はこのサイトにコピーして、それ以外は全部消した。そうしたら随分と心がまとまって軽くなった。 今から数年前……大体8年ぐらい前までの自分は相当なもの知らずだった。 外部からの問いかけに対して短い応答や微笑むことぐらいしかできず、あまりにも素直で、人間の本質を疑うことすらなかった。 それでも人並みに近い社会生活を送れていたことは奇跡でしかない。おそらく非常に運がよかったのだろう。 この8年間で様々なことを学ぶ機会を持てたのは幸いなことで、特に人間の感情について理解を深められたことは大変価値のある経験だった。 それらの経験を踏まえてこの数か月間色々と考えた結果、僕はやはりみんなとは違う存在だと確信した。 この考え自体は子供の頃からずっと抱いていたんだけど、最近になってようやく考えがまとまった感じだ。 それは選民思想や厨二病といったものではなく、よりロジカルな次元での確信のことだ。つまり、科学的なデータに基づいた自身の身体の構造を理解したうえで、そのような結論に至ったということだ。 おそらく僕が日々感じている感情は一般的な人のそれとは少し違うだろう。 人と触れ合い想いを共有する必要性を感じず、恋愛の意味すら分からない。 会話のキャッチボールは望まない。僕ができるのは一方通行のドッジボールだけだ。 血縁者にすら「変わった子だね」と言われ、僕のことを理解してもらうのは難しい。 だから僕はこれまで得た知識を持ったまま、本来の自分に近い状態に戻ることにした。 そんな大層なことじゃない。ほんの少しだけ余分な感情を手放して、幾つかの行動をやめるだけだ。 人間もなかなか楽しかったよ。 人生という名の路線にある忘れられた小さな駅のホームで、僕は沢山の列車が通り過ぎるのをずっと眺めている。 いつか誰かが僕のことを思い返す時があるならば、僕はこの世に存在した意味があるのかもしれない。