====== かつての実家を目の当たりにして ====== 春の彼岸ということで、母と共に生まれ故郷にある母方の祖父母の墓参りに行ってきた。 とても久々に通る道には新しい信号機ができていたり、ところどころにあった幾つかの森や林はスッキリと伐採されて新しい家が幾つも建っていた。 バブル期はその辺も大勢の人が往来していて栄えていた。それがバブルが弾けてからはすっかり寂れて、今じゃゴーストタウンかなと想像していたが、意外と良い感じに変化していた。時代は確かに変わっていくんだね。 祖父母の墓の近くには僕が子供の頃に住んでいた家がある。その家は築45年以上の鉄筋コンクリート造りの洋館だ。すでに人の手に渡っており多少のメンテナンスはされていたものの、未だ大部分が放置されていた。 葉っぱだらけの駐車場、ガラスが割れた窓枠にはめられた木の板、端が崩落しかけている屋根。プロパンガスは設置されていたが人が住んでいる様子はなく、廃墟のような光景に変わりはなかった。 車道からようやく直視することができた元実家は、あまりにも可哀想な姿で残されていた。 もしあの家が再び売りに出されたならば、経済的に自立している今なら買い戻せるかもしれない。そしてエントランスの扉を開けて、昔あの家にいた人々に向けて「ただいま」と呼び掛けることができるかもしれない。また、憧れの棺桶ベッドを地下室に置いて心安らかに休むことだってできるかもしれない。 だけどそれは、僕が再び過去に囚われることを意味する。今でもたまにあの家の夢を見て声を出しながら目覚めることがあるのに、もし実際にあの家を手に入れてしまったら家にほぼ籠りきりになって、社会との接点がますます希薄になってしまうだろう。そうなるのはちょっとやだな。やっと三分の一ぐらい陽キャになれそうなのにさ。 子供の頃に見たり体験したものを忘れるのは難しく、大人になってからそれらとどう向き合うかは自分次第だ。今は2026年で、20世紀はとっくに終わった。 そんな風に自分に言い聞かせた後に、祖父母の墓前に手を合わせたんだ。