友達って何だろう?

こんなこと、さっきまで深く考えたことなかった。
こう思うようになったのは、数日前に旧Twitterで知らない人からもらったDMの内容がきっかけだった。

「昔と大分印象変わったね」

そのDMの主はおそらくスパマーで、僕の気を惹くためにこのような適当なことを送って寄こしたのだろう。
DMをもらった当初はそれ以外何も感じなかったけど、さっき旧Twitterで色々なスパマーの件について投稿した時に、当時のことがふっと頭に浮かんだ。そして少しの寂しさやそれ以外の複雑な気持ちを感じた結果、友達について考える機会を今得ているというわけだ。

人によって友達の定義は様々だ。
僕にとっての友達というのは、本当に仲の良い人たちのための単語だ。
僕には現在、何人かの友達がいる。彼らの顔は見たことないし、声も聞いたことがないし、そして実際に会ったこともない。けれど、少なくとも僕にとっては大切な友達だ。

子供の頃にも何人か友達はいたけど、彼らとはもうずっと疎遠だし、それに昔の自分はすでに死んで新しい僕になったから、かつて友達がいたという感覚を感じることすら難しい。だから僕には、最近の友達はいるけど、昔の友達は一人もいないんだ。

友達は大事だよ。
特に気の合う友達や、お互いに歳の近い友達。そういう人たちとの縁は本当に貴重だから大切にしたほうがいい。彼らの悪口拡散なんてもってのほか。そもそも本当に仲が良ければ、そんな邪なことすら頭に浮かばないよね。
僕は毒舌でSNSとかでも割と色々言うタイプだけど、本当に大切な人たちのことは絶対に悪く言わないし、オープンな場では話題にも出さない。

そんな今までの友達や、これから友達になりたいと思っている人たちと、もっと仲良くなりたいと思うことがある。
人と人との付き合いってのは、お互いが興味関心を持ってコミュニケーションを重ねることでより深まっていくものだ。
僕は他人には無関心なことが多いから、エスパーみたいに相手とすぐに分かり合えたらいいなぁなんて妄想する時もある。
でも人間っていうのは、言ったり書いたり触れたりしなきゃ相手に伝わらないようにできている。それをしなくてお互いのことが何でも分かっちゃったら、それはもうバケモノだ。
だから人には人のコミュニケーションが必要なんだ。コミュニケーションが苦手なら無理にしなくてもいいけど、せめて最低限の言葉は交わせるよう、準備はしておきたいね。

ちょっとごちゃごちゃしてきたから、これ以上考えるのは一旦置いておく。
人間の気持ちは難しい🤖