特命ミッション H.R.J 巡の章2



「君たちが羨ましいよ。この期に及んでまだそんなふざけた態度でいられるとは」
 狂壱はあきれたように呟くと指を鳴らし、中央の祭壇に向けて合図を送った。すると突然、ヒロにゃんの頭上に恐ろしい姿の影が浮かび上がった!
「うわぁぁぁ!!!」
 たまらず叫び出すヒロにゃん。
 それは巨大な生物の組織片を繋ぎ合わせたかのような異様な姿で、手足の部分には血管のような触手がうねり、顔とみられる部分には白い能面のような仮面が被せられていた。
「GOD-“V”……裏社会の粋を結集し、生物科学と呪術によって造られた自律機関だ。こいつは人の欲求に惹かれて動く。そして人の脳裏に語りかけ、扇動し、誘惑し、永久に終わらない、甘き夢を運び続ける天使となる」
「こ、こいつ!いきなりポエムを語りだしたよ!」
「あだ名はポエマー狂壱で決まりやな」
「もうちっと分かりやすく説明してくれんか」
「ていうかこの姿、思いっきり悪夢じゃん。うなされること間違いナシじゃん」
「これでみんなを洗脳して、闇のいいなりにさせる気か……!」
「導く、と言ってくれないか、シノブ。意外かもしれないが、こいつの小型版は、君たちがよく知っている放送局に設置されているんだ。そしてメディアの言うことを疑いなしに聴き入れるようになった大衆は、我々の正体に気付くことなく、ただ言われるままに、神の下で毎日ダンスを踊るようになるのさ。その命が尽きるまで」
「だから、そういうポエムはお腹いっぱいだって!」
 ノアが狂壱にツッコミを入れる側で、ちょうまは閃いた。
「つまり、ここにあるやつが、例の薬の散布機――」
「そうだ。さすがシノブは賢いな」
「茶化さないでください、兄さん。一体どのぐらいの間、一緒に過ごしてきたと思ってるんですか」
「……そうだな」
 狂壱は一瞬だけ遠い目をした。


 ――また、月末がやって来る。
 僕は窓の外を見た。夏の日差しは何日か前に和らぎ、今は心地良い風を肌に感じる。そして今日は土曜日だ。あの子が訪ねてくる、待ちに待った土曜日だ。
 ほら、車の音がする。あれはあの子が乗っている車の音だ。
「キョウイチや。窓を締めなさい」
 部屋の外の廊下にいた義母が、扉越しに僕にそう言った。
「はい、お母様」
 僕は素直に従った。車の排気ガスは、僕の身体には毒らしい。あーあ、もう少し風を感じていたかったのに。
 玄関のチャイムが鳴った。あの子とあの子の家族が家に入って来る。あの子は一旦応接室に通されて、それから僕の部屋に来る。僕のほうからは行かれない。面倒くさいなぁ。一体誰が決めたしきたりだろう。
 僕は物心ついたときから病弱だった。心臓が弱く、太陽の下ではすぐ火傷し、オマケに瞳の色は白ウサギの目のように真っ赤っか。出かける時は日焼け止めを塗って、みんなをびっくりさせないように茶色のコンタクトレンズをつける。こんな身体だから学校にも満足に通えないので、勉強は大抵家庭教師にみてもらっている。

 シノブは僕の腹違いの妹だ。父親は共通しているから、兄妹で似ているところは結構ある。その『似ているリスト』にね、新しい共通点を見つける度に書き留めて、机の中に大切にしまってあるんだ。そしてあの子が来ない日は、そのリストを眺めながら、あの子は今頃どうしているだろうと思いを馳せる。
 僕には友達も恋人もいない。だから、あの子だけを愛そうと決めたんだ。

 シノブは毎月1~2回、家族と一緒に僕の家に訊ねてきて、応接室でお茶やお菓子を口にして、周りの大人たちと少し話をする。僕の部屋に来るのはそのあとだ。ほら、ノックの音が聞こえるよ。
「こんにちは」
「やあ。今日も綺麗な服を着てるね」
「親がコレを着ろってうるさいんです。もっと楽な格好がしたいのに」
 そう言うとシノブは、スカートの端をつまんで羨ましそうに僕を見た。
「兄さんの格好はいつも楽そうでいいですね」
「何年か前に着てた海兵服があるけど、よかったら着るかい?」
「いいんですか!?」
「うん。その代わり、みんなに見つかると大変だから、ここだけでね」
「やった!あ、髪を縛りたいんですけど、ヘアゴムありますか?」
「この前、お前が忘れていったやつをとってあるよ」
 そのゴムに絡まっていたお前の髪は、秘密の小瓶にしまって、僕の枕元に大切に保管してあるよ。

 毎月こんな調子で、僕たちは仲を深めていた。着せ替えや世間話の他に、シノブは科学や哲学が好きだったので、僕の部屋に難しい本を持ち込んではそれを一緒に読んでいた。あの子の話についていくために、僕も使用人に同じ本を取り寄せてもらい、それを参考に勉強した。また、僕は医学や生物学にも興味があったので、それも独学した。お陰でそういった分野には少しだけ詳しくなった。

 それから数年後、シノブは大人になり、僕は家の中だけでの生活を続けていた。もうとっくに働かなくちゃいけない年齢だけど、僕の身体のコンディションは相変わらずだった。試しにやってみた接客のバイトは散々で、1週間ほどで辞めてしまった。幸い我が家は経済的に裕福なので、財テクを覚えれば働かなくても生きていかれる。だからもう、働くことを考えるのは止めた。

 シノブは面白い子に育っていた。奇跡のような発明品を幾つも生み出し、それらを僕に見せてくれた。夢は世界征服だそうだ。
「そんな野蛮なことはやめておきなよ」
「この世の中を、変えたいんです」
 あの子は本気だった。じゃあまずは元手を得るために宝探しから始めてみてはどうだい?と僕がアドバイスをすると、素直なシノブは早速それを実行した。僕の前だけでは素直なシノブ。
 数か月後、シノブの友人の実家(寺)が倒壊した。原因はほぼシノブだった。宝が欲しくて、仲間と協力して少しやり過ぎたらしい。本人も反省していることだし、この件はもうあんまり問題にしなくていいんじゃないかな。

 さらに5年の歳月が経った。僕はインターネットを通じて、外の世界にいる様々な事情の人たちとの繋がりの中で、世間に散らばる美しさと同時に、数多くの醜さを知った。
 それは温室で育ってきた僕にとっては驚くことばかりだった。頭でっかちで見栄っ張りで、他人の上に立つことで優越を感じる大人たち。一途になりきれず、ふしだらで締まりなく、愛欲のままに身を滅ぼしていく大人たち。僕はそんな穢れた要素を持つ人間たちが次第に許せなくなっていた。そして僕はいつしか、かつてのシノブと同じような考えを持つに至った。
「この世の中を、変えなくてはならない」

 この壮大な計画を実行するためには、従順なパートナーが必要だ。僕の忠実な頭脳になってくれる存在が。その役を任せられるのは唯一人しかいなかった。
 シノブ。人はいつか老いて死ぬ。しかし、僕はたとえ死んでもお前と永久に繋がっていたい。
 つまりそれは儚い美への渇望であり、永遠の清らかさへの挑戦でもあった。僕はSNSで身寄りのない子らと知り合うと、彼女らを家の離れに招き、己の願望の実験台にした。その頃は義母はもう家を出ていて居らず、僕に無関心な父親は頻繁に家を留守していたので、僕は使用人に少し気を遣うだけで好きなようにできた。
 ずっとずっと健全で、変わらない姿を。いつまでも僕のための笑顔を。そしてやがて共に結ばれ、この世界を二人で綺麗にしよう。
 それが叶うなら僕は、悪魔(サタン)にこの魂を売り渡そう。

 ある日の週末、いつものようにシノブが我が家にやって来た。僕はあの子を離れに誘い、まさに思い描いていた計画を実行するために、あの子の手足を縛った。きつく縛ったわけじゃないさ、これはゲームなんだから。あの子は僕の健康状態に配慮していたようで、抵抗はしなかった。あの子は僕の言うままに離れに滞在した。食事は僕が噛み砕いて口移しで与え、数日かけて、あの子を新しい環境に慣れさせていった。
 しかし僕が少し目を離した隙に、あの子は僕の秘密を見てしまった。
 クローゼットの奥の隠し部屋にしまっておいた、動かなくなった子供たち。それを発見したあの子は腰を抜かして驚いた。
 あと少し触れ合えば、あの子と永遠に居られるはずだった。だがシノブは僕の手から離れて行った。僕の行為はたちまち親族たちに伝わり、僕は精神病扱いされた。そしてその病気を『治療』するために、僕は父親によってシベリアにある精神病院に送られた。

 あれから数か月、僕はいよいよ終わろうとしていた。閉め切った薄暗い部屋の中で、僕はたった独りで死んでいく。ほら、いつもの不整脈がきた。きっとこれが最期の合図だ。僕はあの子との日々を想い出しながら瞳を閉じた。

 次に目を開けると、そこは病院の天井ではなかった。僕の周りを不思議な人たちが取り囲んでいて、その誰もが僕と同じような真っ赤な瞳をしていた。
 誰かが日本語でおかえりなさい、と言った。それと同時に、僕の側にいた人が何かを掲げた。
 それは僕の身体から取り出した心臓だった。


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