暗闇の中に幾つもの火花が見える。
やがてそれは収束し、規則的な光の点滅となった。
誰かが耳に触れた。どうやら音の聞こえを確かめているようだ。
わずかな反応を確認するように間を置いて、今度は反対側の耳へ。
それが終わり、背中が暖かくなっていく。まるでファスナーを閉じられる着ぐるみのようだ。
やがて身体の中心にあかりが灯り、自動的に目が開いた。
ちょうまは簡素な小部屋にある寝台の上で目が覚めた。そして先程の出来事を思い出し、すぐさま自分の荷物を確認した。
服はそのままだ。武器は近くの棚に置かれている。スマホは圏外。CGは使えないようだ。
「ひとまず潜入成功、か」
ちょうまはしたり顔で呟いた。こうして敵の中枢に入り、隙を見て彼らの野望を阻止する。ここまでは計画通り――彼はそう思いつつ部屋のドアノブを回した。
「開かない……」
この部屋は外側から鍵がかけられているようだ。まるで監獄である。だが幸いにも窓があるので、それを割って外に出られそうだ。ちょうまは窓の脆そうな部分を確認すると、そこを破壊するために銃の引き金を引いた。しかしそれはむなしくも不発に終わった。
弾が抜かれていたのである。
「しょうがない、手で壊すか……」
ちょうまはげんなりした顔をすると、覚悟を決めて窓のほうへと向かった。その時である。
突然、鍵の開く音がして扉が開いた。
「気分はどうだ?」
入って来たのは狂壱だった。ちょうまが答えに迷っていると、兄は一方的に話を始めた。
「三半規管が壊れていたので新しいものに交換した。背中の骨が少しずれていたので直しておいた。それと、お前のアレ(CG端末のこと)は全て摘出した。アレは少々野蛮だから、お前にはもう必要ない」
「ちょ、ちょっと何言ってるか分からないです」
ちょうまは突拍子のない話を聞かされて狼狽した。
「小生をメカみたいに扱って!冗談はネトゲの中だけにしてくださいよ」
「では教えてやろう」
狂壱はちょうまに歩み寄ると、ちょうまを強制的に寝台の上に座らせ、自身も隣に座ると、自らが持っていた医療用メスでちょうまの片手の平を傷つけた。
「うあっ」
突然の痛さに眉をひそめるちょうま。
「痛覚は残しておいた。お前が人の心を保てるようにね」
狂壱は囁くと、ちょうまにその手を見るよう促した。そこからは一滴も血は流れておらず、傷口すらなかった。
「こ、これは!?」
「驚いたか?お前はろくに怪我をしたことがないからな」
狂壱は笑うと、ちょうまに事の顛末を話し始めた。
「僕がシベリアに送られる少し前。僕は我が家に来ていたお前を眠らせて、少しずつ改造していたんだ」
「!?」
「当時はまだ読みかじりの知識が多く、未熟の域を出なかったものでね。他の検体で試しながら、ゆっくりと橋を渡るようにして技術を磨いていたのさ」
そこで狂壱は言葉を切ると、ちょうまに問いかけた。
「いつから外部端末を使わずに、アレ(CG端末のこと)を使えるようになった?」
「そ、それは……よく思い出せないです」
そこでちょうまは、兄の家に出かけていた頃の記憶に曖昧なものが多いことに初めて気付いた。
「そうだろう。お前が麻酔で眠っている最中に、僕がソレをお前の身体に埋め込んだからな。賢いお前のアイデアを、僕が実際に手を動かし、形にしたんだ。お前の女の身体に男の一部を埋め込んだのも僕だ。ふふっ、病身にはなかなかこたえる作業だったよ」
狂壱は苦笑するとちょうまを抱きしめた。
「先程お前のメンテナンスをしている最中に、僕の血液を使ってお前の傷口を塞いだ。分かるか?僕たちはもう混ざってしまったんだよ。お前は人と科学と呪術の完璧なバランスを備えた新しい人間だ。お前の存在は確実に世の中を変える。それが僕が果たしたかった夢だ」
「そうじゃないんです」
ちょうまは静かに言うと、狂壱の手からゆっくりと離れた。目を丸くする狂壱。
「世界が欲しくないのか?」
「人より強い力を持ったところで、本当に偉くはなれません。わずかな人々のために大勢が悲しむ世界は見たくありません。たとえ不完全でも、お互いを尊重し合って、みんなが良い方向に発展していけるように力を尽くすことが、今の世の中に必要だと小生は考えています」
「お前は控え目なんだね」
狂壱は優しく呟くと、急に鋭い口調に変わった。
「だが我々の側に就いた意味は理解しているだろう?いずれにせよ古い人間(オールド・ヒューマン)どもには表舞台から消えてもらう。我々のエサとしてな。そのためにお前には役に立ってもらうぞ」
「私は兄さんの人形ではありません!」
ちょうまはそう言い放つと、ダッシュで扉を開け、一目散に部屋から抜け出した。
「そんなつもりじゃなかった」
静かになった空間で、狂壱は切なそうに呟いた。そしてすぐに己が感情を封じると、真っ赤な視線を開け放たれた扉の先へ向けて、寝台から立ち上がった。
――地獄の鬼ごっこが始まった。
アマツ一族の目をかいくぐりながら、Kたちもまた、楼閣の内部への潜入に成功していた。どこから敵が出てくるか分からない緊張感の中で、神経を張り詰めながらそろそろと廊下を移動する一同。
すると、近くの部屋から美味しそうな匂いがした。彼女たちは恐る恐る部屋を覗くと、そこのテーブルにはポットに入れられた良い香りのするお茶と、見るからに美味しそうな菓子が置かれていた。
「やばい、超うまそう」
ノアは思わずよだれを垂らした。
「ちょっとだけならいいわよね」
と、Kが菓子に近づこうとすると、
「それはお前さんたちが食べるものではない」
とみが厳しい口調で注意した。
「それをかじったら戻れなくなるぞ」
その言葉の意味を察した二人は、渋々部屋から出ようとした。その時だ。
「助けて~」
聞き覚えのある声に、彼女たちは声のするほうを見た。部屋の隅の格子で仕切られた狭い空間の中に、教会に置き去りにしていたヒロにゃんが閉じ込められていた!
「ううっ、Kさん皆さん……また会いましたね!」
「また会いましたね(キリッ)、じゃないわー!なんでお主がこんなとこにいるのよ!?」
「あれから警察に助けてもらおうと外に出ようとしたら、怖そうな人たちに捕まってここに連れてこられたんですよ。もぉ俺って捕まってばっかり……」
「あーはいはい、勝手に悲劇のヒロイン(?)演じててね。じゃアタシたちは忙しいから」
「待って、待ってよK!」
先へ行こうとするKの腕をノアは慌てて掴んだ。
「ヒロにゃん助けてあげようよ!放っておいたら、また人質に使われて面倒なことになるよ!」
「それもそうじゃな」
とみは頷くと、刀で木の格子の一部を切断した。満面の笑みを浮かべながらそこから出てくるヒロにゃん。
「いやー有難い!やっぱ持つべきものは友ですね!」
「でしょでしょ!?もっとわたしのこと褒めて!」
「あっ、ノアさんそんなにくっついたら……」
「だぁーーー!そういうことはここを出てやれーーーぃ!!!」
Kは突然怒ると、部屋の隅に置いてあった白い病衣のようなものをヒロにゃんに突き出した。
「それと、そのオムツみたいな格好!いい加減何とかしなさい!ほらこれ着て!」
「優しいですねぇKさんは」
「だぁー!気持ち悪い笑いすな!さ、みんな行くわよ!」
Kたちが思いがけない再開をしている頃。
ちょうまもまた、同じ楼閣の中にいた。だがKたちと違うところは、彼は今激しく不利な立場にあるということだ。
「シノブ、どこだ」
狂壱の声が迫ってくる。ちょうまはそれから必死に逃げつつ、活路を探していた。だがとうとう鉢合わせは避けられないと判断したか、彼はとっさに近くの縦型の物入れに身を潜めた。間もなくやって来た足音が、物入れの前でぴたりと止まる。
「出てこい、シノブ」
思わず息を止めるちょうま。10秒、20秒……どれくらい経っただろう。やがて足音は遠のき、廊下の向こうに消えていった。
ちょうまはほっとして、狭い空間で額の汗を拭った。こんなことが先程から何度も繰り返されているのだ。
「(本当は居場所バレてるんじゃないか……?)」
彼はそう思いつつ、何気なく上を向いた。すると、物入れの最上部に何かが張り付いているのが見えた。
「りっ、リリーちゃん!?」
「シーーー!!!」
リリーは黙れの仕草をすると、緊張感のある面持ちで耳をそばだてた。つられてちょうまも口をつぐむと、再びやって来る何者かの気配に身体を硬直させた。
「ネコチャン……」
それは小さな少女の声だった。
「ネコチャン……」
その声もまた、物入れの前を通り過ぎ、遠くへ去って行った。
一人と一匹は辺りに危険がないことを確認すると、お互いの状況を確かめ合った。
「……なるほど。それは厄介なことになりましたね」
「ウム、ここはおっかねぇとこだ」
「何とかKさんたちと合流できればいいんですが……そういえばリリーちゃんは、どうやってここへ?」
「屋根をつたって来たのヨ」
「屋根……その手があったか!」
ちょうまは閃いた。
「それでいきましょう!窓の外から他のエリアに行くルートを見つけて、Kさんたちと合流するんです!」
「頼りにしてるゼェ」
そう言うとリリーはちょうまの背中に張り付いた。そして決心した一人と一匹は、勢いよく物入れのフタを開けた!
彼らの目の前には狂壱が佇んでいた。
「丁度、戸締りが終わったところだよ」