美しい青春の断片は過ぎた後に輝く
僕が『エバーラスティング 時をさまようタック』を観るのは今回で二度目だ。
一度目は一昔前に、どこかの動画サービスで観た覚えがある。
その時にこの作品に対して抱いた印象は、とにかく美しかった。
物語の中心となる二人の男女のルックスはもちろんのこと、舞台となった20世紀初頭のアメリカの牧歌的風景や建築物、そこに暮らす人々の生活の様子……どのシーンをとってもまるで絵画のようで、若々しい二人の純粋な愛とエモーショナルなサウンドに、まるで幼い頃に観たフランシス・コッポラ監督作の「秘密の花園」を想起させた。
そして最近またこの話が気になり、今度はDVDを購入したというわけだ。
本作のテーマは「不老不死」だ。
どこかの森にあるという泉の水を飲めば、その時点で成長は止まり(思うに精神年齢すら停止して)、永遠の命を得られるという。
それは老いないだけでなく、銃で撃たれようが火傷をしようが絞首刑にされようが決して死ぬことのない体。
そんな不老不死の恩恵を得たタック家は、世間から隠れるようにして森の中の一軒家に住んでいた。
彼らの最年少である少年の姿のジェシーでさえ100歳を超えているのだから、彼らが身分を隠して暮らすには余程の工夫や慎重さが必要だろう。物語の最後に21世紀の光景が流れるのだが、現代で彼らがどのようにして暮らしているのかというところに少し興味をそそられた。
永遠の命というと、憧れる人もいれば畏れる人もいる。
キリスト教では、生死とは神が決めた世界のシステムであり、人は限りある生の中で清く正しく生き、やがて天に召して神のもとへいくという教えがある。
作中の墓地のシーンで出てきた僧侶も、そうした教えに忠実なように感じられた。
対して黄色い服の男は、そうした文化圏の中で逸脱し、欲を求めるあまり自ら死を選んでしまったようにも見えた。アンガスが言っていたように、やはり彼は永遠の命を得るに適さない存在だったということだろう。
自分一人だけが永遠の命を得て永い時を過ごすとなると、相応の出会いや別れを経験することになる。自身にとってごく近い人たちの死は、当事者としては非常に応えるだろう。長男のマイルズは不死の恩恵を受けていない妻や子供との別離について長いこと引きずっていたが、タック家の人々にとっては、旅の途中で一家全員(+馬)が不老不死になったことが、彼らにとっての救いとなった。彼らは決して孤独ではなく、家族という居場所があるのだから。
本作の不老不死は作品全体の演出も相まって一見美しく見えるが、やはりこのシステムにもある種の呪い的なものを感じた。
それはタック家の年長のアンガスとメイの容姿を見れば分かる。この二人は見た目は壮年のままで、映画『永遠に美しく…』に登場する霊薬を飲んだ後のように若返るわけではない。つまり、アンガスは何百年経っても薄毛のおじさんで、メイは初老に近い容姿のままなのだ。おまけにメイはメンタルが少し弱いようで、何かあると手元のオルゴールを奏でて自身の世界にこもるかのような素振りを見せる。美意識の高い人にとっては、こうした形の不死に辛さを感じることもあるのではないだろうか。
このような事実に気付いた後でも、あの泉を求める気になるだろうか。たとえあの泉に辿り着いたとしても、その頃には皺くちゃの老人だったとしたら、果たしてその姿のまま生き続けたいと思うだろうか?
それでも人の考えは様々なので、中には純粋に命だけを求める人もいるだろう。
僕は老けた姿のまま永遠に生きるなんて嫌だなぁ。
短い青春の儚さがあるから、人間という種はここまで発展したのだ。
おとぎの存在は手に届かないからこそ惹き付けられる。そう考えさせられた作品だった。