あなたは自分のパートナーをロボットにしたいですか?
映画「ステップフォード・ワイフ」には2つの作品があって、最初は1975年に、次にリメイク版が2004年に公開された。この映画は1972年に発表された小説版が元になっており、アメリカのステップフォードという場所が舞台だ。
今回はリメイク版の感想について語っていく(ネタバレ注意)。
あるテレビ会社の大物プロデューサーだったジョアンナは、業務上のトラブルにより退職を余儀なくされ、同じく退職をした夫のウォルターと共にコネティカット州のステップフォードへ引っ越してくる。そこは高級住宅街で、古き良き時代の豪邸が建ち並び、そこに住んでいる人々は皆幸せそうに見えた。が、実はその裏では恐ろしいことが行われていた……。
ステップフォードで語られている家族観は、1950~60年代ぐらいまでのアメリカの暮らしが元になっている。
つまり妻は家の中に居て、家事や育児を完璧にこなし、旦那の要求には逆らわずに従う。たとえ矛盾に気付いたとしても、男性のプライドを決してへし折ってはならない。
後にウーマンリブ運動がアメリカ全土に広がり、男女同権が叫ばれ、やがてそれがフェミニズム運動に繋がっていった。西洋圏の歴史において、女性の社会進出が定着化したのはつい最近のことだ。そういった歴史を踏まえて本作を観るとより楽しめるだろう。
先にステップフォードの違和感に気付いたのはジョアンナのほうだ。世話人のクレアに先導されて不自然な動きをする女性たちは、まるで前時代的な洗脳を受けているようだった。
ウォルターは男性協会のリーダーであるマイクや他の男性たちとすぐに打ち解けて自由奔放な暮らしを満喫するが、彼らの妻たちがなぜこんなにも従順で完璧なのかをやがて知ることになる。彼女たちは脳にチップを埋め込まれ、専用のリモコンに反応するロボットに改造されていたのだ!
コンピュータに操られて、真昼間から気合の入った見事な喘ぎ声をあげる人妻がいたとしたら、その光景を世の中の何割の人が称賛するだろうか?
ジョアンナと仲良くなったボビーやゲイのロジャーも模範的な存在に変えられ、ジョアンナは益々孤立する。
そして彼女も男性協会の本部でこの地域の秘密を知り、ついに決心してその身を捧げてしまう。
かに見えたが、実はジョアンナは改造されたふりをしており、ウォルターとともにこの歪んだ現状から抜け出そうとしていた。
あるセレモニーの日、ロボットの制御室に忍び込んだウォルターは、次々とコンピュータエラーを起こし、彼女たちを元通りにしていった。
そのお陰でボビーやロジャーも元に戻り、それまで散々好き勝手してきた男性たちは女性たちに追いつめられる。
だがそこで男性リーダーのマイクがロボットであり、真の首謀者は彼の妻であるクレアだったことが判明する。
クレアはかつて非常に優秀なキャリアを築いていたこと、彼女の夫であった人間マイクが自分を裏切って浮気をしたこと、そんな彼と浮気相手をクレア自身の手で殺害したこと、その後理想郷を作るためにステップフォードのシステムを構築したことなどが明かされた。そしてクレアはマイクにそっくりのロボットを制作し、女性たちを改造した後に男性たちも全て造り変える予定だったらしい。
個人的にはそこまで見てみたかった。ブラジャーを伸ばすなどして遊んでいたキッズおやじたちが上品な紳士に変貌するギャップはさぞ見ものだっただろう。けど、あえてそこまで描かなかったのはかえって良かったね。ゲイのロジャーが彼らのサンプル(人柱)になっていたのでその様子だけで十分だったし、そこまで全部描いたらステップフォードの異常性が薄れてしまっていただろう。
そう考えると、クレアが思い描いていた理想郷は正しいものだったのかな?
暴力も犯罪もない、真に善良な人々だけが住む平和な社会。
できればチップに頼らずにそういう社会が実現できればいいけど、現実はなかなか難しいよね。
完全と比べたら人間は不完全なもので、それを変えたい気持ちは分かる。でもそんな不完全な部分を、同じく不完全な人間がいくら矯正しようとしたところで、結局は不完全なものしかできないんじゃないかな。完全のレシピなんて人それぞれなんだからさ。
そんな思考のループやジェンダーの奥深さについて色々考えさせられた作品だった。