特命ミッション H.R.J 彷の章1
一方その頃。
「うー、トイレに行きたいなぁ」
Kさんたちがどこかに行ってから数時間。狭い座敷牢の中で、俺は尿意をもよおしていた。まったく、せめてポータブルトイレでも置いておいてくれればよかったのに。
あれから脱出計画を色々と練っていたが、ゲイ猫のヨシダに協力してもらうとか、ゲイ坊主をたらしこんで牢から出してもらうとか、どれも俺の尊厳が許さないものばかりだった。それぐらいしか脱出の可能性はないにしても、そんな計画をわずかでも想像してしまった自分がせつない。
そんなこんなでいよいよ我慢ができなくなった俺は、ダメもとで牢の柵を壊して脱出する作戦に出た。
バチバチッ!!!
「うわっ!!!」
ダメだ!この柵には高圧電流の仕掛けが張り巡らされている!無理矢理壊そうとすれば、たちまち丸焦げになってしまう。
「ここまでするか…」
俺は絶望に打ちひしがれ、ガクンとうなだれた。
「もし、そこの君」
その声に顔を上げると、柵の向こう側に見知らぬ人がいた。薄暗くて顔はよく分からないが、その人は黒い軍服のようなものを着ていた。
「君がヒロにゃんくんだね?」
刃物のように無機質な声だ。善人か、それとも?いや、迷っている暇はない。答えは勿論――
「そ、そうです!もう(おしっこの)我慢ができなくて……ここから出してもらえますか?」
「いいよ」
彼が柵を撫でる仕草をすると、瞬く間に柵の錠は外された。新手の錠前破りか?そうでもなければ、ゲイ坊主が闊歩するこんな奥深くまで来れるはずがない。
「ありがとうございます!ところであなたはどこから来たんですか?」
「そんな野暮なことはどうでもいいじゃないか。折角君を解放してやったんだ。しばらくは僕の用事に付き合ってもらうよ」
俺の質問はあっさりとかわされた。いまいちよく分からない人だが、どうやら俺と一緒に行動してくれるらしい。ここは魑魅魍魎が跋扈する寺だ。仲間は多いほうがいい。
「あっ……と、その前に!」
俺は猛スピードで、通路の端にあるトイレに駆け込んだ。
ふう、ぎりぎりセーフだぜ。
ヒロにゃんが謎の人物の協力を得て脱獄を図ろうとしている頃。
Kたちは、古城へと続く山道を歩いていた。
「とみさんは、どうしてそんなに長生きなの?」
Kが隣を歩いていたとみに問いかけると、彼女はしみじみとした様子で答えた。
「人を、探してるんじゃ。そやつに会うまではいくところにもいけなくての」
「どうやらとみさんは、誰かの手によって呪いを受けて、不死身の体になったんだそうです。その呪いを解くために、その人を探しているのだとか」
ちょうまが補足をした。
「呪いかぁ。アタシはちょっと羨ましいな。いつまでも若くてナイスバディのままなんでしょ?それならわざわざ解く必要はないと思うけどな」
Kのその言葉に、とみはただ静かに微笑みを浮かべていた。
しばらく進むと、城の入口に辿り着いた。辺りに人の気配はない。
「ここ勝手に入っちゃっていいの?」
レンガ造りのアーチ型の門の下で、Kは不安気な様子でメンバーたちを見回した。
「いいんじゃないですか?見たところ、注意喚起的なものはなさそうですし」
ちょうまは頷くと、門の奥にある玄関を見つめながら続けた。
「それに、どんな人が住んでるか、気になるじゃないですか」
「んじゃ、ドゥンドゥンいこうや」
「チュル、チュル」
リリーとツルリンもそれに呼応した。一同は鍵のかかっていない玄関の扉をすんなりと開け、ゆっくりと城内に足を踏み入れた。
窓から入り込んでくる日の光が、オレンジ色の輝きとなって辺りを照らしている。屋内には複雑な装飾の支柱が何本も立ち、周囲の床や壁は磨かれ、美しい風合いを今に保っていた。
「へー、なかなかいいところじゃん」
高窓のステンドグラスの輝きにうっとりとしながらKが言った。
「ええ、ほんとに!まるで文化遺産のようだ」
ちょうまは相槌を打つと、よく響くエントランスホールの中をぐるぐると歩き回り、いぶかしげな表情で呟いた。
「しかし随分静かですね。かといって、まったく手入れをされていないわけでもなさそうだ。本当に誰もいないのかな?」
「……む」
とみが何かに気付いたようだ。一同がその方向に目をやると、通路の奥から背の高い、一人の女性が近付いてきた。
「あれ!Kがいる!」
金髪碧眼の女性はKたちを見ると爽やかな笑顔を浮かべた。
「ノア!?どうしてここに?」
「Kさんの知り合いですか?」
ちょうまの問いかけにKは頷くと説明を始めた。
「ノアとはSNSで知り合ったのよ。彼女もY選手のファンでね。お互い気が合っちゃって」
そうそう、と今度はノアが話し始める。
「今はKの家に居候してるけど、こう見えても少し前までは女子プロレスの選手だったんよ。コロニャンウイルスが流行ってさ、失業者が増えて。わたしもそのとばっちり食らってね、ニートになっちゃった。だから早く次の仕事を探したくて、へいりんじでKたちが薬の話をしてたのを聞いてさ、ウロウロしてたらいつの間にかここに来ちゃったってわけ」
「なるほど。ウイルスさえ何とかすれば、求人が増えて就活しやすくなりますものね」
ちょうまはノアの話に感心した。
「頑張り屋のお姉さんじゃのう。わしらもいっちょ見習おうぞ」
「せやな」
「ヂュルッ」
とみと2匹も頷く。するとノアは、彼女が今来た通路を指し示しながらKたちに言った。
「こっちには特に何もなかったよ。だからこれから反対側に行こうとしてたところ」
この城は中庭を中心として、ロの字型に造られていた。だから彼女は、『反対側』という表現を使ったのだ。
「じゃあ一緒に行きましょうよ」
Kの呼びかけにノアの顔が一段と明るくなった。
「うん!わたしもいきなりこんなところに飛ばされてさ、ちょっとビックリしちゃってたけど、みんなと一緒なら元気が出るよ!わたしが皆を守っちゃるけん。ついて来な!」
そう言うと彼女は、羽織っていた上着を勢い良く翻し、一同の先頭に立って歩き始めた。