特命ミッション H.R.J 獄の章1
甘く、優しい風が吹いている。
歪みの中の世界には、辺り一面の桜景色が広がっていた。先程までの騒ぎはどこへやら、穏やかで静謐な空間がそこに存在していた。
「ニャー」
リリーが気持ちよさそうに鳴いた。春のような暖かさを感じ、とろんとした表情を浮かべている。
「ここはどこだ?」
ちょうまは不思議そうに辺りを見渡した。日本に似ているが、どこか違う気もする。
「まあ~いいところ。ここでみんなでお花見すれば楽しいでしょうね~」
Kは呑気なことを言いながら、桜の木の下で自撮りをしていた。そこでふとノアがあることに気付く。
「そういえばアイツは?」
「兄さんは……いませんね。どうやら我々は放置を食らったようです。兄さんのいるところまで、自力で行かなくては」
「向こうに道がある」
とみは目を輝かせると、ずんずんと先に歩いて行ってしまった。
「いつもより張り切ってるわね、とみさん」
「とみさんも、ここが普段と違う場所ということを感じているのでしょう。それに、探していた人にもうじき逢えるかもしれませんから」
「アマツ、だっけ。ということは、ここが彼らの秘密基地?」
「果たしてそうかは分かりませんが……ここの景色、前にとみさんが小生に話してくれた、とみさんの故郷の風景に似ている気がするんです」
「なる」
Kとちょうまの話を聞いていたノアは納得した。
「とりあえずとみさんについて行こうよ。わたしたちよりも、ここの様子に詳しそうだからさ」
「せやな」
リリーは眠たそうなまぶたをこすりながら一同に賛同した。
白い敷石で整えらえた桜並木の道を一同は歩いていく。
「あかん、限界や」
そう言うとリリーは道にぺたんと座り込んだ。
「じゃあはい、おんぶ」
そんなリリーをKはリュックにしまい、わずかにファスナーを開けたまま背負い込んだ。
「リリーちゃん、随分重たくなったわね!」
リリーはKの驚きに反応せず、すでにいびきをかいて寝ていた。
「なんかそういう格好していると、ますますピクニックに来たみたいですねwおにぎりいっぱい貯め込んでる感じw」
そんなことを言いながらちょうまが笑っていると、一同の目の前を、小さな子供たちが笑いながら横切っていった。彼らは皆、真っ白な衣を着ており、髪や肌や瞳の色も多彩で、いずれも絵本に出てくる妖精のような愛らしい笑みを浮かべていた。
子供たちは少し離れた広場に集まると、そこで待っていた別の子供たちと合流し遊び始めた。
その様子を観察していたノアがぽつりと呟く。
「ここ、他にも人がいたんだ」
「そうね、あんなに子供がいっぱい」
「不思議なところだねぇ。なんだかこの世じゃないみたい」
「ここは」
その声に一同は思わず肩を震わせた。声のした方向――後ろを振り返ると、そこには真っ白な肌をした、髪の長い、赤い瞳の女性が立っていた。
「ここは、わたしたちの、いえ」
彼女はたどたどしい日本語で、喪服のようなスカートの裾を揺らしながら一同に歩み寄ってきた。
「あなたたちは、どこから、きましたか」
「えぇっと、TOKYOから――」
「………………」
キョドキョドしながら返事をするちょうまの次の言葉をじっと待つ女性。
「TOKYOからここに来ました。で、でも皆さんのお邪魔はしません多分。用が済んだらすぐに帰りますよ」
「………………」
女性は無言で一同を凝視したまま、首の向きを変えずに、子供たちが集まる広場に向かって歩いて行った。
「先を急ぎましょう」
形容しがたい薄気味悪さを感じたKは、一同に女性から目を離すよう促した。
「今の人、なんなん……」
「おそらく兄さんと同じタイプの方でしょう」
「あんなのが一杯いるの?ここは」
「おそらく。私たちの家、と言っていましたね。少し用心しておいたほうがいいかもしれません」
「あ!いつの間にかとみさんがあんな遠くにいるよ!」
「とみさん待って~」
一同は小走りでとみを追いかけた。
とみに追いついた一同は、美しい装飾が施されたあずまやの前までやってきた。辺りには色とりどりの花畑が広がっている。そのあずまやの柱に寄り掛かるようにして狂壱は佇んでいた。
「いいところだろう?」
「兄さん、ここは一体どういった場所なんですか?
「何処でもない、地図にもない場所だ。しいて言えば、選ばれた者たちの住処かな」
狂壱は語り始めた
「ここへ来るまでに、君たちもあの子らを見ただろう?彼らは身寄りがなかったり、何らかの事情で孤独になってしまった子供たちだ」
「誘拐して連れてきたの?」
狂壱はKの質問には答えずに言葉を続けた。
「あの子たちはこの世の宝だ。純粋で無垢な心を持ちながら、迫害され、虐げられたものも中にはいる。僕らは彼らのような境遇の者をここへ連れてきて、新時代の住民とするべく教育をしている。子供だけではない。僕らの審査にかなった者であれば誰でも」
「ご立派な話しだけど、それとこれとは話は別だよ」
血の気の多い態度でノアが言うと、
「関係はある」
狂壱は簡潔に答えた。
「結論から言おう。世の中には確実な薬など存在しない。仮に僕らの計画が全てうまくいったとしても、行き着く先は破滅だ」
「あ、そういうことはちゃんと分かってたのね」
「そこまで理解していてなぜあんなことを……?」
「グレート・リセットさ。罪深き者どもが喰われ、今の腐った世の中が全て破綻したあとに、この世界を立て直す人材が要る。病毒や汚れた欲望に染まっていない、純粋な心を持った者たちこそ、新時代の立役者として相応しい」
「だからといって大勢の命を奪い、心を蝕んでよいという理由にはならぬ」
これまで黙っていたとみが口を開いた。
「改心せよ、狂壱。今ならまだ間に合う」
「これ以上何を改めようというのか」
狂壱はとみの忠言を突き放すと、一同にあずまやの中を見るよう促した。
そこでは、亡くなったはずの細田が、とみよりもわずかに小さい身体をした少年と一緒に鞠遊びをしていた。
「ま、まさかその子は……兄さんと細田さんの隠し子!?」
「違う」
ちょうまの指摘を狂壱は即座に否定した。
「彼女の意識はわずかに生きていたので、ここでメンテナンスをし、保護している」
「先輩……」
ノアは細田に声をかけたが、細田はかつての後輩には目もくれなかった。
「彼女の記憶のほとんどは失われた。おそらく君たちのことも忘れてしまっただろう。だからこれからは永遠に、何も考えずに、ここで平和に居ればいい」
と、優しい口調で狂壱は言った。
すると、あずまやの中から少年が出てきた。ゆったりとした白い衣を着た彼は、一同を順ぐりに見つめると、とみに向かって人懐こい笑みを浮かべた。
「おぉ、久しぶりだなぁ」
少年はとみのすぐ側に駆け寄り、彼女の手を愛おしげに取った。彼の肌は狂壱のように青白く、瞳の色は血のように真っ赤だった。
「アマツか」
遠い目をしながら、とみは少年の名を呼んだ。