====== 他責思考の源流はどこに? ====== 何年か前に、韓国製のオンラインゲームでPVPエリアでオート機能を使ってMob狩りをしていた時に、他のプレイヤーに意図せずアタックをしてしまい返り討ちに遭ったことがあった。 相手のプレイヤーとは以前に少しだけメッセージをやり取りしたことがあったから、自分が負けた後に、勝手に攻撃してしまってごめんなさいという趣旨のメッセージを送った。この時のメッセージには、相手に対して敵意があったわけではないという気持ちも込めていたつもりだった。 すると相手から、「弱いほうが悪いので大丈夫です」という返事が来た。 僕はその言葉に驚き、色々考えた結果、ほどなくしてそのゲームをやめた。 ---- 「弱いほうが悪い」 このような他責を含んだ概念は僕が育った環境からは出てこなかった発想だ。あくまで僕の周囲に限って言えば、自分よりある程度上の年代の日本人にもこういう考えを持つ方は一人もいなかった。 なぜ前述のプレイヤーはこのような言葉を使ったのだろう。もしかしてそのプレイヤーは日本とは異なる文化圏の人だったのだろうか。 韓国には「溺れる犬は棒で叩け」という諺がある。これは失敗したり弱っている相手に対して、手加減せずに徹底的に攻撃したり追い打ちをかけたりすることのたとえで、もともとは中国の成句(魯迅の「水に落ちた犬」などでも知られる)に由来しており、韓国においては他者への批判や政治的な非難、競争社会の厳しさを表現する際に使われることがあるらしい。 僕はこの諺を知った時、これは非常に恐ろしい思考形態を生み出す言葉だと感じた。要は相手が加害者あるいは被害者どちらの立場であろうと、最後まで追い詰めて再起不能にするということだ。 それは際限のない衝動性とヒステリックな狂気が合わさった概念、まさしく憤怒調節障害を表している言葉のように感じられた。 僕は特定の国々の文化を批判しているのではない。一般的な日本の教育では、肉体的、精神的、社会的に弱い立場にある人を助けることは良いことだと教えられるし、心を尽くした親切は美徳ともされている。そういう教育や精神面での他国とのギャップに驚いてしまっただけだ。 ---- 当時のゲームでは僕が意図せず攻撃してしまったにせよ、相手の中では僕が加害者で、その人自身は被害者。だから正当防衛のために向こうもオートで返り討ちをしただけで、相手としては「分相応ではないのに仕掛けてきたそちらが悪い」という認識だったのだろう。それならそれでよくて、僕の注意不足や操作ミスということで納得すればそこで終わることだし実際に解決している。 しかし最大の問題は、上述のような行き過ぎた他責思考が日本語圏に入り込んで来ていて、日本の若い人たちがその影響を日々受け続けているということだ。 AI翻訳が進んだ今、動画配信やゲームなどのオンラインコンテンツの国境線は非常に薄くなっている。それらは人々を楽しませる娯楽である一方で、今回の主題のような恐ろしい概念に無意識のうちにアクセスし得る危険性も秘めている。それは人々の思想を知らず知らずのうちに変え、人々が持つ良い面さえ塗り替えようとする。こういうことが日常的に行われている今、現実世界で自身が関与し得る範囲外で起きている敵意や憎しみといった負の感情に必要以上に影響されることのないよう、一人一人が気を付けていかなければならないと思った。