====== 比べられることを恐れるな! ====== どんな人でも人との交わりなくして文明社会で生きていくことはできない。 最初から人間関係捨ててる方はともかくとして、社会で生活する以上、多かれ少なかれ人付き合いはつきものだ。 そして人間関係を円滑に進めるために、人は様々な対人スキルを身に付けていく。 そのスキルの一つである、他者と比較することについて今回はお話しよう。 僕はお世辞にもコミュ強ではない。それでもなるべく相手に失礼のないように人並みの付き合いができるよう考えて生きてきたし、言葉の力がどのような意味を持つか多少は理解しているつもりだ。 また、昔から己の世界で楽しむ遊びを中心にやってきたから、他者と自分とを比較してものを考えるという習慣はほとんどない。だから以下の話には想像や主観が相当混ざってしまうかもしれないがお許しいただきたい。 ---- 他者と自分を比べることは、一般的な感性の範疇であれば正の作用として働く。 例えば場に溶け込めるよう周りの様子をチェックしたり、誰かの作品に触れて新しいインスピレーションを得たり、自身の人生のロールモデルとなる人の真似をしたり……これらプラスの作用は人それぞれで、それらは世の中を回す重要な力の一部だ。 では逆に負の作用とは何だろうか。 例えば自身と他者の容姿や経歴などを比べて、得意気になったり落ち込んだり嫉妬したりすること。 あるいは、相手が自分に抱いている愛の強さを確かめる行為。これについては色々な意見があるだろうが、個人的にはこのように相手の気持ちを試す行為は良くないことだと捉えている。 たとえ負の作用を持つ比較をしたとしても、それが一過性だったり程度が強すぎなければあまり問題になることはない。だがたまに、どういう生き方をしてきたのか、社会に対して非常に批判的で嫉妬心が強く、周囲に不幸をまき散らしているような人を見かけることがある。 このような系統の人は、多少なりとも人に興味がある、ある意味人好きと言えるだろう。常に人との触れ合いを求めていたり、自身を評価されることに恐れを感じているのかもしれない。その裏には、自己肯定感の低さや生活への不満、何かしらのコンプレックスや現実を直視したくない気持ちなどがあって、それで自身よりも下(だと本人は思い込んでいる)の人と己を比べたりして安心することもあるのだろう。 このような精神構造が健全かどうかはさておき、人は高度な感情を持つ生き物だ。思いが強過ぎると、ときに誰かに感情移入すらしたがる。そのような気持ちに自分自身が振り回されないよう、他者と自分とを明確に分けて考える時間を持つことが大切なんだ。 ---- ここまで比べるほうの話をした。 ここからは比べられるほうの話をする。 自分では比べられるつもりはなくても、自身の知らないところで己を評価されて負の感情を向けられることもある。そういう時はいつの間にか話が進行していることが多いから、そのような比較が行われた顛末を本人が知ってギョッとなることもある。 それでますます自分についての話が気になって、コミュニケーションツールを頻繁にチェックしたり、エゴサしたりして心が傷ついていく。そういう人は大勢いると思う。 そのような出来事を「気にしなくていい」の一言で片づけられれば非常に楽だが、前にもお話した通り、人は高度な感情を持つ生き物だ。それだけではなかなか難しい場合がある。 だから発想の転換が大切なんだ。 誰かに比べられるというのは自分が誰かに評価されるに値する存在だということで、それによって自身が更に成長できる可能性があること。人の気持ちは流動的だから評価は常に変わる可能性があること。それらを理解できれば、自身の実生活と関係のない人たちからの評価にどう向き合うか、答えを出せるようになるだろう。 そしていつの日か、誰とも比べられないほどのオンリーワンの存在になれたら、それはとても素敵なことだと思うんだ。 適当に言わせておけば大丈夫。 そのうち飽きていなくなるよ。