一か月以上前に自身の状態をより詳しく理解し始め、その現実を受け入れた時から、僕の心身はゆっくりと確実に変化している。
アレルギーすらも克服するほどの活力は次々とやる気を起こさせて、誰かが発した言葉の意味について、より理性的で深い洞察を得られるようになった。僕にとっては今が一番生きていると感じられる時だ。
これは自分が何者かを知り始めたことで、自身の精神的な立ち位置が安定してきたからだろう。
そのような中で、新しい自分に適応するための試練とも言えることが幾つも起きている。
それは新たな創造性を育むための前向きなプレッシャーなどや、飼い猫の死。特に後者の出来事は僕にとっては特別な節目のひとつで、実生活における一定の配慮の必要性が薄れたことで、冥福の念と共により自由と解放感を感じられるようになった。
猫の毛が気になって着る機会が少なかった暗めの色の服を選べるようになり、帰りの時間を気にせずに色々なところへ行く準備ができるようになった。自分のための時間が増えたことでより寛容な気持ちで物事を捉えることが増え、エラーの感情が減った。
こういうところで自身の気持ちの切り替えの早さが慰みになったのは少々皮肉なことだが、なにはともあれ、中学生の頃から猫たちと過ごしてきたいち個人としては、今後ペットを飼うことはないだろう。
運命は非情で容赦がない。しかし用意されるハードルは決して乗り越えられないものではなく、挑戦の準備が整った時にその輪郭が見えてくる。その仕組みは誰の人生においても適切なタイミングで機能し、その人の決意と共に新たな挑戦が生まれる。
慣れ親しんだロータリーから出るのは勇気のいることだが、そのままぐるぐる回っていればいつか化石になるだけだ。
自身の人生の最終決定権は常に自分自身にあり、自らを変えることができるのもまた、他でもない自分自身だ。その後押しをしてくれたのが、最近のこうした出来事なのだと僕は解釈している。
2026年は忘れられない年になった。
だけど今年度はまだ始まったばかり。
これから年末にかけて、更なる運命の転換が待ち受けていそうな予感だ。