*作品のネタバレあり*
先日、2005年制作のハードキャンディという映画を観た。
これは大人びた14歳の少女が、ロリコン性犯罪者を心理的に追い詰めて懲らしめる話だ。
導入の内容から、出会い系チャットサイトで知り合った男性に少女が連れて行かれ……という展開を予想しがちだが、グイグイ行くのはむしろ少女のほうだ。少女の作戦にまんまと嵌められたロリコンは、自宅に彼女を招待し、そこで彼女に一服盛られ、あとはひたすら攻められるというもの。
個人的には好みの構成の作品で、特に少女がロリコンの睾丸摘出を試みるシーンがよかった。
そして何より当時少女役だったエレン・ペイジの演技力が素晴らしく、年齢不相応な雰囲気と知的な会話内容が相まって一気に観てしまった。
14歳の役を演じた当時のエレンは17~18歳で、身長は155cmほどの童顔だった。そこにショートヘアと中性的なルックスがミックスし、果たしてこの子は本当に少女なのか、それともそれ以外なのかと、途中で不思議な錯覚に囚われた。
それもそのはず、エレンはトランスジェンダーだ。現在はエリオットと名を改め、性別適合手術とホルモン療法を受けて男性俳優として活動している。
彼の両親は彼が幼い頃に離婚し、その後二週間ごとに片親が交代で彼の面倒を見るという不思議な育ち方をした。父親のほうの家庭には父の再婚相手とその子供たちがおり、そちらのコミュニティの中ではエリオットの肩身は狭かったようだ。
また、彼は男の子の遊び方や服装を好み、髪を短くしてもらった時は非常に喜んだそうだ。
そして俳優にスカウトされ、年齢が上がるにつれて、レズビアン体験をしたり業界関係者からのセクハラを受けるようになった。
そのような複雑な生い立ちが、彼の演技やジェンダー・アイデンティティに影響した可能性は大いにあるだろう。
こうした背景を知った後にハードキャンディを見ると、単なるサスペンスものとは異なる、また違った見方ができる。
エリオットはこの頃からトランスの片鱗を見せていて、ベースの自認は紛れもなく「彼」だ。
ただ、彼が定型的な男性かと問われたら、僕はそうではないと答える。彼は脳内では生来ある程度の男性性を獲得しつつも、一般的な男性像とは程遠い育ち方をしているからだ。
実の父親という男性としての最初の規範となる存在とのコミュニケーションを欠き、成長期特有の同年代の男性集団との付き合いを欠き、代わりに女性コミュニティを中心として育ってきた男性が、どのような大人になるかを想像したら何となく理解できるだろう。
ある人々は、背が低く華奢で自身のペニスの事情を知らない人は男ではないと言う。またある人々は、彼には少年のような魅力があるのでこれでいいのだと言う。両者に共通することとして、彼らはエリオットを成熟した男性として見ていない。このように、一人の人に対して人々が抱く男性像には大きなばらつきがある。
エリオット自身も、インタビューで「健全な男性性とは何か」と訊かれた際に、大衆が納得する返答ができなかったことがあった。それは彼が男の道を歩み始めたばかりの頃に訊かれたことなので、ちぐはぐな受け答えになるのは当然だ。インタビュアーはそのような的外れな回答をあえて狙い、彼に問いかけたようにも見えた。
他のFTMの例を見ても、自己の男性性がまだ定まっていない時期に、妙に突っ張ってアウトローのような言動を見せたり、まるでパッチワークのようなファッションコーディネートで周囲を驚かせることがある。これらは彼らが男としての経験が浅く、まだ未熟な存在なために起こることだ。
仮にまだ精通が始まっていないような10歳未満の男児に「健全な男性性とは何か」と問いかけて、上手い返しができる子は果たしてどれだけいるだろうか。また、逆の性別に当てはめて考えた際に、健全な女性性について述べられる女児はどれだけいるだろうか。
ちなみに僕がイメージする健全な男性性は、身体にとって有効なアンドロゲンが一定量あるうえで、自らの立ち位置をはっきりと認識し、適切に行動や自制ができて、精神的に安定している状態だと考えている。それは必ずしも勢いに任せるものではなく、身長が高ければ良いというものでもない。
昔、僕の同級生に身長150cmぐらいの成人男性がいた。彼は心優しく博識で礼儀をわきまえており、人としても立派だった。若いうちはルックスに目が行きがちだが、最終的に重要なのは前述のような評価を相手に抱かせるほどの度量の大きさであり、ハートの強さだ。
僕にはこれ以上男を語る資格はないが、良い男というのは接していれば自然と分かる。そのような良いロールモデルをリスペクトしながら己を磨いていけば、いつか一目置かれる存在になれるんじゃないかな。
僕は彼がエリオットになった後も彼のことを素晴らしい人だと思っていて、僕自身はFTMではないが、彼の境遇には幾つかの共感と親近感を覚えた。
女性俳優としての唯一無二のポジションを手放し、自身のための行動を起こすのは大きな勇気がなければできないことだ。同性愛者であることをカミングアウトして、オペとホルモンで真のFTMとなった時、待ち受けるのはそれまでとは異なる世間の空気だ。付き合いのあったレズビアンの友人が離れていき、声をかけられる回数やSNSのいいねが減り、女性というだけで許されていたあらゆることに関して容赦のないバッシングを受ける。そして時には「あなたに裏切られた」と言わんばかりに非難され、一部の自意識過剰な女性たちからは危険な捕食者のような扱いを受けるのだ。
だが彼にはその勇気があった。外野がいくら「ショックを受けた」とか「違和感を覚える」とか「女性のままでよかった」などと言ったって、本人にしか分からないことが山ほどある。だから彼は自分自身のためにエリオットになった。それで十分じゃないか。
大切なことは、人生の中で少しずつ見い出していけばいい。人の歩みは違って当たり前なのだから。