『中道改革連合』という名称について
本日、立憲民主党と公明党が中道改革連合という名称の新党を結成すると公表した。
前日には「中道改革」という名称が候補に挙がっていて、SNSや5chなどでは、「中核派」や「中革派」や「中国への道」などと散々いじられていた。僕もこっそりそのおふざけ祭りに参加したクチだから、あのネーミングセンスをみんながネタにしている気持ちはよく分かる。
というか、日本の政治の歴史を多少なりとも勉強した人であれば、あのネーミングがどのような意味を持つか大体分かるはずだ。
中道改革連合。
日本でごく一般的な教育を受けた日本人マインドを持つ人なら、この字面を見て不穏な感じを抱かずにはいられないだろう。何事も第一印象が大切だが、この新しい政党はその名前の印象からして不吉だ。観相学的に言えば全てのパーツが凶相である。
そのように感じるのは一体なぜなのか。この政党名に使われているこれらの単語の真意を紐解きながらお話してみよう。
まずは「中道」という字について。
中道というのは客観的に評価するものであって、自ら名乗るものではないと僕は考えている。
なぜなら中道というのは、ごく一般的な感覚を持つ人であれば大体以下のように想像するからだ。
極左◆◆左◆◆◆◆中道◆◆◆◆右◆◆極右
ところが中道と名乗っている人の中には、自身を以下のような立ち位置に置いている人が少なからずいる。
極左◆中道◆左◆◆◆◆中道◆◆◆◆右◆中道◆極右
さらに極端な例では、以下の両端のような人もいる。
◆中道◆極左◆中道◆左◆◆◆◆中道◆◆◆◆右◆中道◆極右◆中道◆
自身が十分に左側(あるいは右側)にいながら、己を客観的に見ることができていない人ほど、自らを中道と認識している。実際には大きな偏りがありながら、本人はそれに気付いていないか気付いていないフリをしている。まるで美容整形を繰り返す人がどんどん沼にはまっていって自身の顔を客観視できなくなるのと同じだ。あるいは、特定の性別に対して極度の嫌悪感を抱いたり日本人を憎んでいながら多様性尊重をうたっている人々の、非常に狭量な多様性の概念とも似ている。
これには右翼と左翼が本質的に同じであるという論拠に近いものがある。
そうは言っても、「中道というのは、右や左の軸では測れないものなんだよ」と仰る方もいるだろう。確かにそういう場合もある。だけどここでは当人たちとそれ以外の人たちとの認識の著しいズレが問題になっていることを取り上げているので、その議論は一旦置いておこう。
だから僕は、自分のことを中道だと頑なに思い込んでいる政治家に対しては、もっと鏡で自分をよく見てみろと言いたい。
その頑なな心こそが、中道からかけ離れているんだよ。
次に「改革」という字について。
おそらくリベラルと関係の深そうな単語を当てはめたのだと思うが、そもそも立憲民主党はリベラル政党ではないと僕は思っている。
与党憎しのもとに集まり、内閣の足を引っ張りながら国会やSNSなどで延々と文句を垂れ流して、社会の少数派や被害者意識のある人々を洗脳しカモにしている自称リベラルとは一体何なのだろうか。大した信念もなくしょっちゅうバラバラになって、ただ自分たちが気持ち良くなっていたい人たちの集まりなんじゃなかろうか。
本来のリベラルというのは、社会の現状をより良くするために力を尽くす人々のことを指すのであって、左派や媚中や共産主義者や悪い方のグローバリストなどの、国家破壊を目論む人々とは全く異なる人種だ。
本物のリベラルな人には、知識と教養と品格と献身性がある。そして政治の話題においても、地に足のついた現実的な議論をすることができる。
考えの異なる相手に対して己の意見を押し付けることはせず、相手の意思を尊重しながら、お互いの関係をより良いものに持っていくことができる。つまりお互いの利益を考えて向上心を持って道徳的に行動できる人たちだから、本来のリベラルというのは単に左とは片付けられない位置に存在しているんだ。
僕は左翼や共産主義者は嫌いだが、真っ当なリベラルな人たちと話をするのは好きだ。
だからこの新党には、本物のリベラルな人たちの評判を落とすようなことはしないでほしいと思っている。
よく保守とリベラルは対極の関係にあると言われているが、実は両者は非常に近しい関係にある。
真っ当な保守やリベラルは、それぞれの得意分野が異なるだけで、お互いに歩み寄り、話し合って協力できる心の余裕を持っているからだ。
だから本来はお互い罵り合うことなく、与党と野党の関係であっても良い関係でいられるはずなんだ。
それをさせずに対立軸を作って邪魔しているのが立憲民主党をはじめとするリベラルもどきだと僕は考えている。このリベラルもどきたちのやり方は、中国共産党が相手の思想をかく乱させるやり方によく似ている。
「改革」の革は「革命」の革でもあり、昔公明党を創設した池田大作という人が書いた「人間革命」を想起させる。ここまで来れば世間一般的な中道とはかけ離れたものとなり、公明党が説く中道の概念によって「中道改革」の意味が完成する。
自分たちの正体を隠そうとして隠し切れない、逆にアピールしたい。宗教ならではのそうしたサブリミナル的な意図が、この政党名からひしひしと伝わってくる。
だからこの政党は始まる前から胡散臭いし、僕と同じような感覚を抱く人はおそらく寄り付かないだろう。
立憲民主党と公明党の系譜やメンバーを知っている人であれば尚更だ。
最後に「連合」という字について。
これは立憲民主党や国民民主党と関係性が強い日本労働組合総連合会の略称でもあるから、非常に紛らわしい。まるで日本労働組合総連合会が中道改革連合に属しているかのような印象を与えてしまう。実際そうなのかは不明だが、連合という字には他にも特殊な意味がある。
それは1971年から1972年にかけて活動した日本の極左テロ組織、連合赤軍だ。ある程度歳のいった方々の中には、連合と聞いてこういう団体を思い浮かべる方もいるだろう。
勿論連合には良い意味もある。皆が手を携えて仲良くするというイメージだ。
おそらく名付けた人はこちらの意味合いで連合という字を加えたのだろうと思うが、先の中道改革の字の後にこれを持って来るのは学生運動とか流行っていた頃の年寄りのセンスで、ハッキリ言って時代遅れだ。共産党や社民党のお姉さんたちがSNSで変わった踊りを披露しているのと同じぐらいのセンスの逸脱を感じる。
この新しい政党は、結局のところ高齢左翼の再就職先に過ぎないのではないか。そのような印象を抱く人々も5chに散見された。
ここからは、この新しい政党が今後どのような道を辿るのか、少し私見を述べて終わりにする。
この新党は公明党の影響力が強いように思える。公明の斉藤代表が立憲民主党の生殺与奪権をガッチリ握っているように見えるからだ。彼はこのように述べている。
「(中道改革連合に)集まった人は、もう立憲の人じゃないんです。公明党が掲げた五つの旗の下に集って来た人です。立憲の人ではありません」
このまま両党の合併が進めば、立憲民主党のイデオロギーやアイデンティティは消滅するだろう。
それ以前に、公明党の支持者と立憲民主党の支持者双方からの反発がものすごいと思う。かたや宗教、かたや政治思想をベースに動いている人々だ。お互いを受け入れて協調していくには尚更エネルギーを使うだろう。自民党にはもともと多様な考え方の人たちがいたので公明党とはあれだけ長く続いたが、今回の場合は立憲民主党が相当折れなければ難しい。
何とか自分自身を納得させて(「私は中道、中道」と言い聞かせて)、この新しい輪の中に加わる。それしか生き残る術がない人もいるから、そういう人たちにとってはこの新党は良い受け皿になるかもしれない。
ただ、少しでもまともな人は、他の党に移籍するか、自ら新たな党を立ち上げるか、無所属で出馬するかを選択するだろう。あるいは、これを期に選挙活動を引退する人も出てくるだろう。
つまりこれから両党は、いつ空中分解してもおかしくないリスクの中を進みながら新しい党の存続に挑戦していくことになる。
これは相当難しいことだ。でも案外うまくいくかもしれない。
なぜならば、信仰の力は強大だ。それを本気で信じることができれば、多分怖いものはなくなる。
彼らはそこまで自分自身を改革できるだろうか?
